バーリーウォーター(大麦ジュース)

ペナンでよく飲まれるBarley Water(大麦ジュース)は、マレーシアで人気のある健康的な飲み物の一つです。ペナンのレストランやホーカーセンターでは、冷たいものから温かいものまで提供され、特に暑い日にリフレッシュするのに最適です。この飲み物は、茹でた大麦と水をベースにして作られ、しばしば砂糖やライムが加えられて、さっぱりとした風味になります。

バーリーウォーターは、世界中で様々な形で楽しまれています。たとえば、ヨーロッパでは、イギリスでは、茹でた大麦を濾してから果汁や砂糖を加えたものが一般的で、さわやかなレモン風味が人気です。また、スペイン語圏では「Agua de cebada」と呼ばれ、麦芽大麦とレモン、砂糖を使い、特に南米の一部では、麦ではなく米や小麦を使った独特のバリエーションも見られます。一方、東アジアや東南アジアでは、大麦を濾さずにそのまま飲むことが多く、冷たいバージョンにはストロー、温かいバージョンにはスプーンが添えられることが一般的です。

マレーシアのバーリーウォーターは、このアジア風の飲み方であり、大麦の粒がそのまま残っているため、飲みながら粒を食べることができる点が特徴です。また、ライムや砂糖を加えて飲むことが多く、非常にさっぱりとした味わいが特徴です。

栄養面では、大麦は食物繊維が豊富で、消化を助けるとともに、コレステロールの低下にも寄与するとされています。また、大麦にはビタミンBやミネラルが含まれており、体を強化し、特に炎症を抑える効果が期待されています。昔から、腎臓や膀胱の健康をサポートするために飲まれることが多く、特に暑い気候のマレーシアでは、体を冷やす効果もあるとされています。

日本語では「大麦(おおむぎ)」と呼ばれるこの植物は、イネ科の穀物であり、麦の一種です。大麦は乾燥した環境でも育ちやすく、その強靭な性質から世界各地で広く栽培されています。

ディーパバリ(Deepavali)

ペナンの街が今年もディーパバリ(Deepavali)の光に包まれる時期が近づいてきました。ヒンドゥー教の重要な祭典であるこの「光の祭り」は、悪に勝つ善、闇に勝つ光、そして無知に勝つ知恵を象徴するものです。マレーシアでは、ディーパバリが国民の祝日として定められており、特にインド系コミュニティが多い場所では盛大に祝われます。今年は2024年10月31日木曜日にあたります。

ディーパバリはヒンドゥー暦のカルティカ月の15日目にあたる「アマヴァスヤ(Amavasya)」の日に祝われます。アマヴァスヤは新月の日であり、1ヶ月の中で最も暗い日です。この祭りはその暗闇を打ち破る光を象徴し、多くの家や寺院が無数の灯火で照らされます。ディーパバリの祝日は通常1日ですが、準備は数週間前から始まり、家々では装飾や大掃除が行われます。

ペナンでは、特にリトル・インディアがディーパバリの中心地となります。このエリアは祭りの数週間前からにぎわいを見せ、カラフルな装飾や、サリー、クルタ、ドーティなどの伝統的なインドの衣装が並びます。マレーシアのディーパバリの特徴的な装飾のひとつに「コーラム(Kolam)」があります。これは玄関先や家の中に描かれる幾何学模様で、米粉やチョークの粉を使って美しい曲線や対称的なパターンを作ります。このコーラムは、邪悪なものを追い払い、幸運を呼び込むと信じられています。

ディーパバリの日、ヒンドゥー教徒の家々は新しい衣服を身にまとい、家族や友人たちと共に祝います。女性はサリーを、男性はクルタやドーティを着て、朝から寺院に参拝し、繁栄と健康を願う祈りを捧げます。午後には、遠く離れた親戚と再会し、食事を共にしたり、プレゼントを交換したりするのが一般的です。ディーパバリは、家族や友人との絆を深めるための大切な日でもあるのです。

ペナンのショッピングモールもまた、ディーパバリを祝い、店内は煌びやかな装飾で彩られ、特別なイベントが行われます。店舗は祭りに合わせた飾り付けをし、多くの店がディーパバリセールを開催し、家族連れや観光客でにぎわいます。特にジョージタウンのリトル・インディアでは、伝統的なスイーツやスナック、香り豊かなインド料理が並び、歩いているだけで祭りの雰囲気を存分に味わうことができます。

ディーパバリの夜になると、街や家々が光の海に変わります。灯油で作られたランプやキャンドルが玄関や通りに並べられ、夜空に向かって花火が打ち上げられます。家々の灯りは、ただ美しいだけでなく、光の勝利を象徴するものとして重要な意味を持ちます。リトル・インディアでは、夜遅くまで人々が集まり、音楽やパフォーマンスが繰り広げられ、祭りの雰囲気はますます盛り上がります。

仙草ゼリー(Grass Jelly)

ペナンを訪れると、数えきれないほどの美味しい料理が待っていますが、暑い日には特に仙草ゼリーがオススメです。黒く光るゼリーの見た目に驚くかもしれませんが、一口食べればその爽やかな味わいが広がり、暑さで疲れた体を瞬時に癒してくれます。

仙草ゼリーは中国南部発祥の伝統的なデザートで、体を冷やす効果があるため、東南アジア全域で親しまれています。ペナンでは、多くの中国系移民がこの文化を持ち込み、地元の食文化の一部として根付いています。特にチャイナタウンやホーカーセンターで、冷たいシロップと一緒に提供される仙草ゼリーを探してみましょう。暑さが厳しいペナンで、このひんやりしたデザートはまさに救世主。食べている間、体がリフレッシュされ、まるでクールダウンしているかのように感じられるでしょう。

さらに、仙草ゼリーは単なるデザートではなく、漢方の一部としても知られています。消化を助け、体内の余分な熱を取り除き、炎症を抑える効果があると言われています。ペナンのような暑い場所で、健康にも良いこのデザートは、観光の合間の一休みにぴったりです。

興味深いことに、仙草ゼリーはタイでも「チョーングクイ(เฉาก๊วย)」と呼ばれ、広く楽しまれています。タイ料理の中では、ココナッツミルクやシロップとともに提供されることが多く、タイの暑い気候に合ったデザートとして親しまれています。仙草ゼリーは中国から始まったものの、東南アジア全体で広く受け入れられ、各国で独自のアレンジが加えられているのが面白い点です。

拿督公(Na Tuk Kong)

街角や路地裏を歩いていると、マレーシアやシンガポールでよく目にする真っ赤な小さな祠があります。これは「拿督公(Na Tuk Kong)」と呼ばれる土地神を祀(まつ)る祠(ほこら)で、地元の人々に深く信仰されています。写真に映る祠もその一例です。

古びた壁に寄り添うように建てられた最初の祠は、非常にシンプルな造りです。赤い瓦屋根と四角い形が特徴的で、中には線香が焚かれており、その煙が静かに立ち上っていました。このような祠は、地元の住民やビジネスオーナーが神の加護を求めて建てたもので、通行人も足を止めて祈りを捧げることがよくあります。香の煙が静かに漂い、その場には特有の神聖な雰囲気が漂っています。

一方で、こちらの祠は、細かい装飾が施された美しい建造物です。階段が付いており、その上に彫刻が施された屋根と柱が立ち並び、金色の文字が祀られた神を表しています。このような祠は、特に商業地区や住宅地で見かけることが多く、繁栄と安全を祈願する象徴となっています。供え物としては、果物やお茶などが並べられており、神様への感謝の気持ちが込められています。

こちらの写真は、細い路地の風景です。古びた建物に囲まれたこの道の端には、また別の拿督公の祠が控えています。路地は静かで、時間が止まったかのように感じられる場所です。このような静かな空間で神に祈りを捧げると、その場所が守られているかのように感じるのも無理はありません。

マレーシアの街角に隠れるように存在するこれらの祠は、地元の信仰と文化が融合した象徴であり、日常の一部として人々に受け入れられています。旅行者にとっても、こうした場所は現地の生活や信仰を垣間見る貴重な機会です。

Lebuh Cintra(日本横街)

ペナンのジョージタウンには、Lebuh Cintra(日本横街)と呼ばれる通りが存在します。この通りは、ユネスコ世界遺産にも登録されているジョージタウンの中心部に位置し、チュリア通りとキンバリー通りを結ぶ狭い一方通行の道です。現在では観光客に人気のある場所ですが、かつては赤線地帯として知られていました。特に19世紀末から20世紀初頭にかけて、この地域は「からゆきさん」と呼ばれる日本人女性が売春を行っていた場所としても有名です。

からゆきさんとは、貧しい農村部から海外に売られた日本人女性たちのことを指します。彼女たちの多くは、九州地方の特に長崎や熊本、天草などの出身で、厳しい税制や農業の不作、貧困が原因で家族により海外に売られることになりました。こうして「唐行き」と称される海外への道を歩んだ彼女たちは、東南アジアを中心に、中国やシンガポール、ペナン、さらにはシベリアやザンジバルといった遠方まで連れて行かれました。

ペナンはその中でも重要な拠点の一つであり、Cintra通り周辺には多くの日本人娼館が軒を連ねていました。彼女たちは厳しい生活環境の中で働きながらも、故郷に仕送りを続け、家族を支えました。彼女たちが稼いだ収入は、ペナンにおける日本人経営の正規ビジネス(医療、歯科、ホテル、写真店など)の資金源となりました。20世紀初頭、ペナンには200人以上の日本人が住んでおり、その多くが性産業に従事していたと言われています。Cintra通りはそのため、「日本街」や「Jipun Sin Lor(日本新路)」としても知られていました。

しかし、1920年代に入ると、日本国内でのナショナリズムの高まりとともに、からゆきさんの存在が恥ずべきものと見なされるようになり、彼女たちは次第に姿を消していきました。多くの女性は日本に強制送還されましたが、帰国後も差別に苦しむことが多く、一部の女性は地元に留まり、現地の男性と結婚するか、別の仕事に就く道を選びました。

ペナンには現在も、彼女たちを弔うための日本人墓地が残っており、その多くがCintra通りで働いていたからゆきさんたちの墓です。彼女たちの多くは若くして亡くなり、その人生は決して楽なものではありませんでしたが、九州には今も彼女たちの犠牲を称える記念碑が建てられ、その名が刻まれています。ペナンを訪れる際には、歴史の影に生きたこれらの女性たちの存在に思いを馳せることも一つの旅の意義となるでしょう。

粿条(Kway Teow)

ペナンの粿条は、地元で非常に有名な料理のひとつです。スープ仕立てのものや、炒めたものなど、見た目や調理法は異なりますが、どちらも「粿条」と呼ばれる米から作られた平たい麺を使った料理です。そのシンプルな麺は、食感と風味が料理の主役となり、様々な具材や調味料と合わせて多彩な味わいを楽しむことができます。

粿条は、米粉と水を混ぜ合わせて作られる生地を薄く広げ、蒸し上げた後に切り出して作ります。麺の質感はもちもちとしており、炒めると外側が香ばしく、中は柔らかくなるのが特徴です。スープ粿条の場合は、濃厚なスープが麺に絡み、その味わいを引き立てます。具材には豚肉、魚団子、もやしなどがよく使われ、シンプルながらも風味豊かに仕上げられます。

粿条の歴史は潮州から始まり、潮州人が移住を通じて東南アジア各地にその文化を広めたことで、タイやマレーシアにも伝わりました。特にタイでは、19世紀にラーマ5世の時代に広まり、その後タイ風のアレンジが加えられ、今では「パッタイ」や「船麺」などが代表的な料理として知られています。一方、マレーシアのペナンでは、中国系移民の潮州人や広東人の影響を受け、地元独自のスタイルが生まれました。ペナンのチャークイティオは、黒醤油や血蚶、鴨卵を使い、強火で炒めることで麺に「鑊氣」(火力による独特の香り)が加わり、これが他地域にはない特徴となっています。

ペナンの粿条は、マレーシア国内でも特に個性的で、他地域と比べて味わいが深いと評判です。例えば、クアラルンプールやイポーでは、炒めた粿条にチリソースを添えることが多いのに対し、ペナンでは炒める際にすでにチリソースが加えられ、ピリッとした辛さが料理全体に行き渡ります。また、イポーの粿条は軽くてさっぱりとした味わいが特徴ですが、ペナンのものは濃厚な味付けが好まれています。スープ粿条においても、ペナンでは豚肉や内臓がよく使われ、濃厚で旨味が強いのが特徴です。

ペナンの粿条の味は、非常に奥深く、炒めたものは強火で調理されることで生まれる香ばしさが魅力です。特にチャークイティオは、血蚶や海老、卵が黒醤油と絡み合い、甘辛いソースが絶妙なバランスを作り出しています。スープ粿条は、あっさりとしたスープが麺にしっかりと絡み、具材の旨味が加わった一杯で、ペナンならではの風味を楽しむことができます。

ペナンを訪れた際には、ぜひ本場の粿条を味わい、その豊かな食文化と歴史を感じてみてください。